こんにちは。
ずいぶんと長い間ブログを留守にしてしまいました。
いつの間にあの猛暑はどこへやら。涼しい風が吹くようになりましたね。ひとり秋の雲を見上げています。
ピータンの四十九日が過ぎ、少しずつだけど気持ちの整理ができてきました。今日はピータンとの別れ、その後思うことなどを綴ってみようと思います。
ピータンが暮らしていたリビングは老犬介護仕様になっていたのですが、今では全て元に戻し、片付けられています。もうピータンが暮らしていた部屋には見えません。
思い出のピータングッズはひとまず目につかない所で保管しています。だって見ちゃうと淋しくなっちゃうから…。また必要な時がきたら?また手に取ってみたくなったら?出してこようと思います。
でも、お別れした当時はまだピータンの気配がしてたんですよ。突然鼻を鳴らす音がしたり、網戸をガリガリ引っ掻く音が聞こえたり。本当に不思議なんですが。あぁーピータンまだいるのかなー?まだいて欲しいなーって何度思ったことか。
いつも横にいて当然の存在でしたから、いなくなったこの空虚感がたまらず、声に出して何度もピータンに話しかけました。その度に…返事なく…静かな部屋で…。あぁ、もう本当にいないんだーって思うと、キューンと胸が苦しくなったりして。
そして、散歩に出る事もごはんを作る事もなくなり、朝や夕方はやたら時間が余るんです。生活時間はまだピータン時計で動いてしまっているようです。かといって時間にゆとりができて優雅に暮らしている…というのとも違うんです。雨の日に面倒だなと思った散歩も、眠い朝にご飯を催促されるのも、あれ、今思えば極上の幸せ時間だったんですよね。
今でも毎日ピータンの姿が思い浮かぶのですが、いつも現れるのは白髪混じりのヨボヨボしたピータン。舌は出たままだし、歩きもおぼつかないし、寝てばっかりだし。そこで改めて思うんです。ピータンってこんなに歳とってたんだなぁって。ここまで頑張ったんだなぁって。だからこそ大きな病気もせずに大往生したピータンを褒めてあげないといけないんです。
淋しいには違いありませんが、ここで穏やかな気持ちになれるのは、ピータンが歳を重ねるのをずっと見てきたからです。切なく大変だった介護生活を送りながら、やがてくるお別れの日を少しづつ感じ、受け止めてゆくのです。この時間はきっとお別れの後に飼い主の淋しさを和らげる為の準備のようなもので、これがないと後悔ばかりが残ってしまうと思うんです。
年を老いたペットと、病と戦うペットと、最期まで寄り添ってこそ、その後の安らぎが得られます。これは間違いありません。
これはピータンから教えてもらったのです。
我が家のパグ暦によると、今、季節は冬。もう寒くてフリースに潜ってる時期です。きっとこんな姿だろうなぁー。
↓すっかり長袖シーズンですね。いや、昼だけギリ半袖な感じ?
↓ただ今新たなブラックパグの製作中です。